「学校に行けない子どもたち」をめぐって (意見)



「学校に行けない子どもたち」をめぐって

 昨年の夏、友人に誘われて、ある講演会に参加しました。

長野県で多くの不登校の子どもたちに関わってこられた講師(『のぞみ学園』園長・北澤先生)のお話しは、

淡々とした中にも説得力がありました。

不登校は『これ以上学校に行き続けたら、もう自分がつぶれてしまう』という、

子どもたちのぎりぎりのところでなされる訴えなのだと説明されました。


 この会を主催している『登校拒否ネットワーク広島』のメンバーは、

9年前三原市佐木島で起こった『風の子学園事件』を悼む集会を毎年8月に持ち続けてきたのでした。

そのことは、私には少なからずショックでした。

あの事件は特別な人が起こした過去の出来事だと思っていたからです。

けれども、あの事件で犠牲になった二人は、実は、

学校に行かない子どもたちを認めようとしない社会に追い詰められたのでした。

そして、不登校の子どもたちをとりまく社会の状況は9年前と少しも変わっていないということにも気づかされました。


 文部省はスクールカウンセラーを導入するなどして、増え続ける不登校などの問題に対処しようとしているけれど、

未だに不登校児を情緒障害児・不適応児と見ている。

だからこの子たちにとって大変なのはまだこれから、おそらく2010年あたりがどん底になるのではないか、

というのが講師の先生の見方だそうです。
 

 98年5月の時点で全国の不登校児童・生徒の数は約10万5千人(文部省の統計)。

最近のニュースでは11万人を超えたと報じられていたと思います。

私の住んでいる東広島市の人口と同じ数の子どもたちが、

学校に行けないという自責の念と、周囲のあわれみやさげすみや戸惑いの視線によって深く傷つきながら、

今もどこかに姿を潜めていることを思うと、心が痛みます。

 私たちは今すぐには、この社会を変えることはできないかもしれません。

でも、身近なところにいる一人に対して、

「学校へ行こうと行くまいと、あなたの人間としての価値は変わることは無いのよ。」と,

言葉と行動で伝えていくことはできます。


なぜなら私たちクリスチャンは、何ができてもできなくても、

イエス様の十字架によって尊い神の子どもとされた一人一人なのですから。


 そしてもう一つ、私たちのできることは、

子どもの問題に向かい合って苦しんでいる親たちに、具体的な助けを提供することではないでしょうか。


核家族化が進み、周囲から孤立した状況の中で親が我が子を虐待する、という痛ましい事件が後をたちませんが、

親が何らかの支えを与えられていれば防ぐことのできたケースも多いはずです。


私たちの教会でAP(より良い親子関係講座)を始めたのも、

子育てに悩む若いお母さんたちの力になりたいという願いからでした。


さらにセルグループの中では、悩みを分かち合ったり支えあったりする場がうまれてきています。

教会(クリスチャン一人一人)が、傷つきやすい小さな命を守るために用いられていきますように。

 
   


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