なぜ人を殺してはいけないのか?

サタディナイト・セルグループ

オームのサリン無差別殺人事件以来、この問いはさまざまな場所で議論されるようになりました。少し前までは人を殺してはならないということは当たり前の倫理と思われていましたが、中学・高校生の二人に一人が「身近な人に殺意をもったことがある」と答えている今ではその問いはもう当たり前のことではなくなりました。

■人間は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに答えることはできない

さまざまな場所でこの問いが議論されていますが、あなたはこの問いに対して真正面に答えることのできた人をご存知でしょうか?

学校では、人はたまたま偶然に誕生し、弱肉強食の原理の中で進化して生まれたと教えます。それに対して「自分が生き残るために周りの邪魔者を殺して何が悪い」という当然の反応が生じるのです。そして実際、人は殺戮と戦争の歴史を歩み、科学も進歩させてきたのです。ですから、人間は、「人を殺してはならない」といえる根拠も権利も持っていないのです。

■神様が生きよといわれている。

では、生き残るために人は邪魔者を殺して良いのでしょうか?

人はこの問いに対して答える根拠も権利ももっていませんが、人を造られた神様は十戒の中で言われます。「あなたは人を殺してはならない」と。

あなたは聖書を読まれたことがありますか? 聖書の中で神様が人に語ってくださっているメッセージは、「私があなたを造ったのだ。そして私の命(十字架の死)をもってあなたを赦し受け入れたのだ。だからあなたは価値がある。あなたは生きるのだ。生きてゆくのだ。」というものです。

人は人を殺そうといたします。しかし神様は生きよといわれるのです。神様は人の生が生きるその意味の根拠も権利ももっておられるのです。

■愛しなさい

イエス様は、十戒を含めた旧約聖書の言葉を一つの言葉にまとめられました。それは、神様の愛に応えて、神様を愛し、自分を愛し、人を愛するというものです。「人を殺そうとする力」に対峙する力は「人を愛する」というものです。人を愛し始めるとき、私たちは生きる実感や喜びを体験してゆくのです。

■そのままで存在が受け入れられているかどうか

邪魔者を殺す…その根源にあるのは、弱肉強食です。子供たちは本当の愛に飢えています。「勉強ができるから愛される」「人よりも優れているから認められる」「人よりも強いから価値がある」、それらは全部条件付きの愛であり、そこには安らぎがありません。

でも神様は言われるのです。「あなたはそのままで十分価値がある。」そして神様は完全な愛で(無条件の愛で)愛してくださいました。その愛はイエス様の十字架に現されました。

この神様の愛を知るとき、私たちは自分をそして人々を受け入れ、弱肉強食の相手ではなく、共に生きる家族となるのです。

 






 



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