馬場さん (女性) |
慈しみ深い主の御名を賛美いたします。
私は広島に来てこの春で10年になります。
来月、長崎に戻りますが、今日はこの広島の地で頂いたたくさんの恵みを覚えて感謝の証しをさせていただきます。
10年前、三男が大学入学のため家を離れ、先に東広島に単身赴任していた夫のもとへやってきました。
それが緑の牧場教会との出会いでした。
以来、ほとんど欠かさずに敬愛する兄弟姉妹がたと共に礼拝を捧げることができました。
これは大きな恵みでした。
礼拝の中で共に祈り、賛美し、御言に聴く、その繰り返しで今の自分が養われたと思っています。
礼拝後の分級では、同じメッセージを聞いていても様々な感想があって、それを分かち合うことも楽しみでした。
そして週日に持たれているセルでは親しい交わりの中でいろいろなことを学びました。
それぞれの喜びや悩みに一喜一憂し、読書を通してよい人間関係の持ち方などを学べたことを感謝しています。
そのような中で目が開かれる思いをしたことをお話ししたいと思います。
私は中学生の時からミッションスクールに通い16才で洗礼を受けました。
以来ずっと「神様は悔い改めれば、赦してくださる方」だと思っていました。
ところがそれは大きな誤解だったと示されました。
実際には神様は私たちが自分の罪に気付き悔い改めるずっと前にイエス様の十字架によって私たちを赦してくださっています。
このことはイエス様のたとえ話に出て来る放蕩息子と父親の関係からもわかります。
放蕩息子がボロボロになって帰宅した時、父親に「ごめんなさい」というより前に父親は飛び出して行って息子を抱きしめます。
「ごめんなさい」が先行しているのではありません。
「悔い改めれば赦される」のではなく、どこまでも無条件に神様は私たちを愛し赦してくださっている。
そのことに気付かされたとき喜びが溢れました。
愛され赦されているからこそ私は安心して主の前に出て自分の罪を告白できるのだと今では思うようになりました。
この気付きは大きいものでした。
神様がとても親しく慕わしく思えるようになりました。
日々のディボーションの時、いそいそと喜んで主の前に出ている自分がいます。
人と関わる時も互いに完全な者ではないのだから「赦し、赦され」たいと願います。
人を赦せないと思う時に自分が無条件で赦されていることを思い出したいと思います。
そうすることで私たちはそれぞれの弱点をカバーし合い、よいところが生かされて用いられ感謝と喜びが生まれるのだと思います。
簡単なことではありませんが、本気でそう願えば主が助けてくださると信じます。
緑の牧場教会を通していただいた神様の祝福と恵みを私も他の人たちに伝えたいと願っています。
本当に長い間お世話になりました。皆様との出会いは私の宝物です。
詩篇にあるように「主をたたえよ
日々、わたしたちを担い、救われる神を。」(68:20)
と賛美して証しを終わります。ありがとうございました。
緑の牧場キリスト教会礼拝にて