「愛と恵みを受けて」 山森さん (女性) |
私は、なんの違和感もなく、毎週日曜日は教会へ行くという環境で育ちました。
私は長女ですが、教会へ行くと年上のお姉さんたちが遊んでくれるのが楽しみでした。
そしてどんな物語より、波乱万丈でおもしろい聖書のお話を聞く楽しみがありました。
その反面、死ぬことが怖くて、夜寝付けないこともあり、子供ながらに、何かを求めていた気もします。
何事も、知ると理解する間には時間が必要ですが、
私も、夢のような奇蹟の話や、いろんな物語が自分と関わりがあると分かるには、時間が必要でした。
普通、子供は自分の母親から生まれ、そこが原点と思っています。
ところが、私は、神様の計画により、創造され、生かされていると聞いて育ちました。
一番自分に身近な愛は、親からの愛ですが、それよりも大きな愛、変わらない愛がいつも神様から注がれていると聞いて育ちました。
そして、神様はいまも生きていて、祈ることによって話すことができるから、何でも相談し、ゆだねつつ何事も決める環境で育ちました。
その中で、自分の内側にある罪の存在に気づき、神様を求めました。
はっきりと自分の罪を悔い改め、イエス様の十字架の犠牲が自分のためであることを告白し、新しくされました。
その時、死への恐怖からも解放され、自由になりました。
その後は、祈りや聖書を通し、神様と会話することを楽しみ、喜びのうちに生かされています。
しかし、弱い者ですから、自分に頼るとき、自分の存在やその価値、生きる目的に不安を覚え失望します。
その度ごとに、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と、
語りかけてくださる神様に立ち返り、また安らぎと希望を得ます。
聖書は、救われるのは、自分の行いによるのではなく、恵みによるといっています。
ただ、一方的に注がれる神様の愛と恵みを受け、与えらられた地上の人生を、これからもしっかりと歩んでいきたいと思います。
May God Bless You.