酒井姉妹
幼い頃の記憶をたどると、鮮明によみがえってくる一枚の絵があります。
それは、いばらの冠をかぶり、血を流しながら十字架につけられているイエス様と、
その下で悲しむ人々の姿を描いたものでした。
当時、私の住んでいた愛知県の田舎町に、民家を開放しての伝道所ができ、絵はその一部屋の壁に貼られていたのです。
私はその絵に何となく恐ろしさと悲しさを感じながらも、毎週もらえるぬり絵やカードが楽しみで、日曜学校に通っていました。
小学生の頃は「人は死んだらどうなるんだろう」というようなことを真剣に考える子どもでしたから、
イエス様が私たちの罪の身代わりとして十字架にかかってくださったこと、よみがえって今も生きていてくださることを聞くと、
それがうれしくて素直に信じ、六年生の時にバプテスマを受けました。
中学生の頃は、聖書に書かれていることを守ろうと努力していました。
心のどこかで「私はそれほど悪い人間ではない。
イエス様はみんなのために十字架にかかって下さった…私はそのことを信じて、神様に喜ばれる人になろう」と思っていたのです。
そんな私も、高校生になってから、自分が「罪人」であることを思い知らされることになりました。
自分が正しいと思って主張したことがある人を深く傷つけてしまったのです。とても悔やみました。
この事をなかった事にできたらどんなによいか…と思いながら祈りました。
その時、幼い頃に見たあの絵のイメージと共に、
はっきりと、「こんなふうに人を傷つけてしまう、どうしようもない私の罪のためにイエス様は十字架にかかって下さったのだ…」
という思いがわき上がり、自分自身のこととして、イエス様の十字架を感謝して受け止められるようになったのでした。
大学生になった私は、キャンパス・クルセードに所属し、
また当時出席していた教会でも奏楽や教会学校の奉仕をさせていただき、充実した毎日を過ごしていました。
「神様に喜んでいただきたい。神様のために働きたい」と願うその一方で、
どこか、自分を偽善者のように感じたり、伝道したいと願っても、人間関係をうまく築いていけないことに自己嫌悪を感じたりしていました。
そんな頃、キャンパス・クルセードの仲間たちとの研修旅行に参加しました。
何人かで語り合う中で、S君がこう言いました。
「ぼくは神様と人のために生きたい。」…気負いもなく、悪びれもせず、さらりと語られたその言葉に、私は驚きました。
さらに、彼も自分のがんばりで神様に従おうとしてザセツした時期があったこと…
自分にも周りの人にも絶望したどん底の中で、その足もとにいて下さったイエス様に出会ったこと…などがわかってきました。
それは当時の私の気持ちそのままでした。
S君との出会いの中で、それまで私が「神様のために何かをしなくては」と思っていたことが逆転し、
「私のためにすでに全てをしてくださった方のために、何かをさせていただきたい」という願いに変わっていきました。
それは、ありのままの私を愛して下さっている神様の愛と恵みに触れた、さらに深い「神様との出会い」の時でした。
その後S君は牧師としての道を志し、私は彼の神学校卒業を待って結婚。
あれから23年が過ぎました。
現在は、四人の子どもに恵まれ、喜びも悲しみも分かち合える素晴らしい教会の方々(神様の家族)と共にすごさせていただいています。
その中で、お会いする方々の人生の重さや苦しさに直面する時、どうしようもない無力感と痛みに沈むことがあります。
そんな時立ちもどるのが、「インマヌエル−神われらと共にいます」(マタイ1:23)という慰めと希望の言葉です。
これは八年前、五人目の子どもを生後十日で天におくった後、
時間が止まってしまったような悲しみの中で、神様が静かに語りかけて下さった言葉でした。
「インマヌエル−わたしが共にいるよ」。
私たちが自分の弱さにつき当たった時、イエス様というお方はさらに新しい展開を伴って、私たちに出会って下さる
…その希望を抱きつつ、これからも大切な神様の家族と共に歩ませていただきたいと願っています。
(これはCLC機関誌「みちしお」に掲載されたものです)