「インド旅行」 谷本さん (この時は青年、現在は結婚されています)




 私がインドに生きたいと思うようになったのは一冊の本との出会いからです。

沖守弘さんの書かれた「マザーテレサ あふれる愛」という本です。

この本のきっかけから、私はマザーテレサの活動、そして信仰に興味を覚えました。

マザーテレサは、「プアー イズ ビューティフル」と言います。

私は多くのマザーテレサの本を読みました。

大変な仕事の中、笑いが絶えることのない神の愛の宣教者たちを実際に見て、体験したいと思うようになりました。

そして今回、実現しました。


 インドは治安が悪い危険ということもあって、一人旅については多くの人の反対を受けました。

インド・カルカッタ・ホームスティというツアーを見つけました。

しかしツアーとは名ばかり、日程、内容、インドのカルカッタ以外は全て私自身が決めます。

広島空港発シンガポール経由カルカッタでインドに行くことになり一人旅となりました。


 シンガポールからカルカッタまでの飛行機でとなりの席のインド人の男性に、「一人でカルカッタに行くのか?」と尋ねられ、

「そうだ」と言うと、彼は「一人だなんて、危険だ。カルカッタに友達がいるのか?」といろいろと質問されました。

私は英語で話すことがほとんどできないため質問にうまく答えることができなかったため、

彼をますます不安にさせることになりました。

彼は、ずっと「危険だ」と言っていましたので、

私はただでさえ不安でたまらない気持ちが深いところにまで達して、顔が青ざめて行くのを感じました。

しかしすぐにこの不安は打ち消されました。

空港に日本人の女性と2人のインド人男性が迎えに来てくれていました。

この女性は私のホームスティするお宅にやはりホームスティしているとのことでした。

私は、神様は不安を一つづついやしてくださるのを感じざるを得ませんでした。

日本語の話せるインドの男性がホームスティ先に遊びに来ていて、

彼がインド・カルカッタの市内観光とマザーテレサのいろいろある施設の見学につきあってくれたおかげで

様々なことを知ることができ、いくことができました。

願ってもないこの出会いは、最高のプレゼントでした。

私はマザーテレサの施設ボランティアでも多くの体験をしました。

8日間ボランティア活動を行いました。

日中は40度近くまで暑くなります。この中での作業は大変です。

ボランティアの仕事は部屋の掃除と洗濯と食事介助です。

私は、プレムダムという施設で洗濯をしました。

すべて手作業です。

まず井戸から水を汲み、水を貯めます。

服・シーツ類・一枚一枚汚れを落とし、水を拭き、また水を汲み、洗剤で洗います。

そして、すすぎは2回です。そして搾ります。しっかり脱水をしなければいけません。

皆さんは暑いからほどほどでも乾くと思われるかもしれません。

しかし洗濯を干す場所は4階にあります。もちろんエレベーターなどはありません。しっかり搾らなければ重いのです。

暑いので大変ですが、この仕事が嫌だとは思いませんでした。むしろ楽しかったほどです。

私はこの施設に行った初日にすばらしい光景を見ることができました。

一人の少女がスラム街から運ばれてきました。

この少女は栄養失調、消化不良等でがりがりにやせ細っている上に、頭には蠅がいっぱいたかっていました。

痩せているために大きな目がさらに大きく見えました。

しかしその目は輝きを失っていました。すぐにシャワーをして、体をきれいにします。

頭もきれいに苅ってしまい、ベットの上に横になり点滴が始まりました。

しかし点滴もすぐに漏れてしまったり、なかなか入らなかったりです。

シスターがずっとそばにいて、彼女に何か話しかけ、少女は目を閉じてじっと聞いているようでした。

時折、シスターがそばを離れると、隣のベットで横になっている老女が少女のために手を差し伸べます。

この老女は、いつも「ごはん・ごはん」と言っていて少々ヒステリックのようにも見える痴呆の人です。

しかしこの時は、とても優しい顔で手をにぎっているのです。

反対側のベットの老女は体が動かせません。しかし彼女もその少女を励まします。

私は、見返りを求めて、あるいは自己満足のために人に接することがあります。

私は恥ずかしさと感動で涙があふれてきました。

神様の力は本当にすばらしいと思いました。

少女は次の日にはなくなっていました。

シシュバワン(孤児院)を見学したときは、

愛情に飢えた子どもたちをみました。

一歳位の子どもを抱きました。

他の子どもがすぐに寄ってきて、自分も抱いて欲しいと手を伸ばします。

抱いている子どもを降ろすと泣き出してしまいます。

この次期は、スキンシップが大切だと聞いたことがあります。


マザーテレサは、貧困と飢えのない平和を求める神様にお仕えしました。

マザーの活動は慈善事業でも福祉活動でもありません。

神様が望まれる世界のお手伝いなのです。

だから、「私はできることだけをしただけ」ということになるのだと思いました。

私はボランティアが絶えず来ていることも寄付が後を絶たないことも全て神様の力がそうさせているのだと思いました。

すべての人々はマザーと同じように「できることをしただけだ」ということができると思いました。

すてきだと思われませんか?

マザーの名刺には、

沈黙の果実は祈りである 祈りの果実は信仰である 信仰の果実は愛である 愛の果実は奉仕である 奉仕の果実は平和である

と書かれています。すばらしい言葉だと思います。

東広島市 † 緑の牧場キリスト教会 ホームへ…