「主は尽きることのない喜びと力の源」エマさん(留学生夫人) |
主はいつも私によくしてきて下さいました。
与えられた祝福は数えきれないほどです。
一日の始まりから終わりに至るまで、主の憐れみは変わることがありません。
証を始めるにあたり、まず主に感謝をお捧げします。
日本に来たことも、主が下さった恵みでした。
それは知らない国で何年かを過ごすという経験の間もずっと変わらない恵みでした。
最初は通う教会や仕事、家族と離ればなれの生活など、心配することばかりでした。
とりわけ、団らんの時に家族でしていた主への賛美ができなくなるのは寂しいことでした。
また当初は日本語も話せず、友人もいませんでした。
夫と一緒に学校へ行くこともできないので、一日中家にいなければならなかったのです。
日本へ来る前には仕事を持ち、忙しい生活をしていた私にとって、これは非常につらいことでした。
私は心配のあまり、主がすべてを導いて自分をここへ連れて来て下さったのだから
私に必要なものが何か知っていて下さる、ということも忘れるほどでした。
しかしそれがきっかけで、今までよりも時間をかけて祈る機会が与えられました。
また教会の皆さんからも支えと主にある交わりをいただき、とても感謝しています。
そうした時間は当時の私にとってとても貴重な時間でしたし、今もそれは変わりません。
8か月後、主は私を再び忙しくして下さいましたが、ここでもいろいろな問題がありました。
神様は人間をみな平等にお造りになりましたが、肌の色が違う人間を軽蔑する人々がいることがわかったのです。
経験しなければならない問題はいろいろありましたが、それらを通して与えられた新しい機会を感謝しています。
日本で過ごした数年間の間に、学んだことがいくつかあります。
まず心の底から主に信頼することがクリスチャンにとって非常に大切だということです。
主にあって喜ぶとき、主は困難の中をも導き乗り越えさせて下さいます(詩篇37:23−24)。
去年は両親を続けて失うというとてもつらい年になりました。
感情面でのストレスも大きかったのですが、両親が召された後に引き受けなければならない責任を思うと、さらに痛みがつのりました。
しかし言うまでもなく、主はその時も今もご自分の方法で私たちを祝福して下さっていたのです。
どんな喪失の悲しみにあっても、創造主ご自身が私たちと共にいて下さる。
主は尽きることのない喜びと力の源、実の兄弟以上に近くいて下さる方です。
主は今も変わらず、とこしえにゆるぐことがないと約束して下さった神であられるのです。
この教会がつつましい出発をされたことを振り返ってみますと、教会を育てて下さるのは主ご自身であって人の努力ではないとつくづく思います。
わずか数名の集まりが、ほぼ四年間で礼拝出席者が60名を超えるまでに成長する様子を見せていただきました。
愛するすべての人々に主が御愛を現して下さり、共に礼拝できますようお祈り申し上げます。
最後に一言付け加えたいと思います。
生者と死者に審判を下す神様がおられ、まもなく来られます。
神様はあらゆる物事を統べ治めておられる方です。
そして私たちが好むと好まざるとに拘らず、神様はただ一つの基準、
すなわち「主イエスキリストを信じる信仰があるかないか」によって人間を裁かれるのです。
麦ともみがらとを分けるように。
その中間はありません。
あなたはどちらを選ばれますか?私たちが死ぬ時には、もう決断する時間はありません。
今がその時なのです。
というのは、人はみんな一度死んで、その後に審判を受けることが決まっているからです。
あなたがもし今日、神のことばを聞かれたのならば、どうか心をかたくなにせず、イエスキリストを信じて下さい。
そうすれば人生の本当の意味と喜びに出会えるでしょう。