大変な時こそチャンス 南さん (青年) |
おはようございます。
韓国出身のナムと云います。
私は今、広島大学に留学しています。今年で来日して7年目になります。
緑の牧場キリスト教会には1998年の冬にはじめて来させていただきましたが、
皆さんの前に出て話すのははじめてですので、緊張しています。
所々判りにくい表現等があるとは思いますが、ご理解の上、お聞きください。
今日は私の子供の頃のお話をさせて頂きたいと思います。
私は子供の頃、悪戯っ子で、わがままでした。
小学校に入ってからも女の子に意地悪をしたり、
何かあるとすぐカットなってしまい、よく友達と喧嘩をしたりしました。
私はまた勉強するのが大嫌いでした。
いつも宿題をしないで学校に行くので、担任の先生に叱られる毎日でした。
ですから学校に行きたくないという気持ちで一杯でした。
そのような私の気持ちを神様が知ったのでしょうか。
ある日を機に、私は学校に行かなくても済むようになりました。
なぜだと思いますか?
病気になったのです。
屋台で食べたおでんがあたって急性食中毒で意識を失い、病院に運ばれました。
私はまだ小学校一年生でしたから、体力も弱く、これ以上治療を続けても
回復の可能性は低いと医師先生から言われました。
病院から死刑宣告とも云うべき診断が出されたにもかかわらず、
私の家族は、私が以前のように元気に回復できると信じていました。
小学校に入った頃は私を含め、
私の家族皆はまだクリスチャンではありませんでしたが、
私の母は、小さい聖書を買って毎日聖書を読んで私のために祈ってくれました。
恐らく、母は、どうやって祈れば良いかも知らずに祈っていたと思います。
病院からは回復の見込みがないと云われていましたので
母は私を病院から退院させました。
そして漢方薬を飲ませながら、祈りつづけました。
急性食中毒から6ヵ月後、私の病気は綺麗に治りました。
診断した医師先生も、周りの人たちも皆ただ驚くばかりでした。
意味も判らず、聖書を読み続けていた母は、
長年に亘って教会に奉仕を続け、私が中学校の時は
40日間の断食をするまでに到りました。
今は、小さい教会ではありますが、牧師になり、黙々と祈りつづけています。
父は仕事をしながら、母を手伝っており、高校の教師をしている義理の兄と姉は神学の勉強をしながら、教会に奉仕しています。
悪戯っ子でわがままな私の病気をきっかけにして私の家族は神様に救われました。
大変な時、我々は挫けそうになりがちですが、
その時こそ、神様と親しくなれるよいチャンスかも知れません。
他人が不可能であると思われたことも神様の力によって可能になるということを
身を持って体験することができたことを神様に感謝したいと思います。
日本での留学を終えて日本を離れますが、日本で学んだことを韓国の若者に伝えつつ、
神様が私と私の家族を救ってくださったように
より多くの人が神様の愛と恵みに接することができるように祈っていきたいと考えています。
それでは、最後に私の母が常に奉読してくれていた聖書の御言葉を
皆さんと一緒にお読みして今日のお話を終わらせて頂きたいと思います。
申命記 / 28章 1節
もし、あなたがあなたの神、主の御声によく聞き従い、今日わたしが命じる戒めをことごとく忠実に守るならば、
あなたの神、主は、あなたを地上のあらゆる国民にはるかにまさったものとしてくださる。
それではお祈りいたします。一緒について祈ってください。
愛する天のお父様。
今日の礼拝を感謝します。
毎日毎日神様の愛と導きを頂き、
またたくさんの祝福を頂いているということを
私たちが常に気付き、それに感謝する生活が送れますように助けてください。
この祈りをイェスさまの御名を通してお祈りします。
アーメン
(南兄弟…礼拝の中で子どもへのメッセージから)